将棋用語『左馬』について
将棋と囲碁が大好き
左馬という言葉の意味を教えてください。
将棋と囲碁が大好き
左馬とは、馬の駒を鏡文字にしたもので、別名逆馬とも呼ばれています。
将棋と囲碁が大好き
なぜ鏡文字にするんですか?
将棋と囲碁が大好き
諸説ありますが、縁起がいいとされているためです。
左馬とは。
将棋では、「佐馬」と「左馬」という駒があります。佐馬は馬の鏡文字で、「逆馬」とも呼ばれます。由来については諸説あるものの、縁起が良いとされています。
左馬とは?
「左馬」とは、将棋において、角と馬という2つの駒が合わさった強力な駒のことです。角は斜め前方に何マスでも動けますが、馬は前後左右に1マスだけ動けます。左馬は、これら両方の動きを組み合わせることができ、非常に攻撃的な駒となっています。左馬は、相手側の駒を取ったり、敵将を詰ませたりするのに役立ちます。また、敵の駒を牽制したり、自陣の駒を守ったりするなど、多目的な駒としても使用できます。
左馬にまつわる諸説
-左馬にまつわる諸説-
将棋の駒、「左馬」は、その由来について諸説存在します。
一説によると、「左馬」は古代ペルシャの「アスヴァラージャ」という軍隊区分に由来すると言われています。アスヴァラージャは、馬と戦車を指揮する将校のことで、「アスヴァ」は「馬」を、「ラージャ」は「王」を意味します。それが日本に伝わり「左馬」となったと考えられています。
もう一説では、「左馬」は仏教の守護神である軍荼利明王の手に持っている武器「左馬剣」に由来するとされています。軍荼利明王は左手に剣を持ち、乗っている象は左足で踏み出しています。これが転じて、馬を表す「馬」に「左」を冠した「左馬」となったとされています。
さらに、平安時代の宮廷用語に「左近の馬場」があり、それが転じて「左馬」になったという説もあります。左近の馬場は朝廷の御所で左側の馬場を指し、実務をつかさどっていた職員が乗る馬を「左近の馬」と呼んでいました。それが次第に「左馬」と呼ばれるようになったとされています。
このように、将棋の駒「左馬」の由来には、さまざまな諸説があります。これらの説がどれが正しいかは定かではありませんが、いずれも興味深い逸話となっています。
左馬の縁起
左馬の縁起
「左馬」という用語の起源は、平安時代にまで遡ります。当時、朝廷では公卿や貴族が馬に乗って牛車(ぎっしゃ)を引いて移動していました。牛の左側には左方の馬を、右側には右方の馬を配置していました。この左方の馬が「左馬」と呼ばれていたのです。
左馬が縁起の良い存在とされるようになったのは、その姿が神馬(しんば)に似ていたことが理由です。神馬とは、神が乗るとされる馬のことです。左馬は、神馬と同じく左側に配置されていたため、神馬の代わりとして縁起の良いものとされました。
また、左馬が牛車を引く姿には、困難に立ち向かう(むかう)力強さと、主人のために尽くす忠誠心の象徴が込められています。そのため、左馬は勝利や出世などの吉兆(きっちょう)と結び付けられるようになりました。
左馬の戦法
-左馬の戦法-
「左馬」の駒は、使い手が駒のときに歩と同じように動きますが、成ると「竜馬」となり、強力な駒に変化します。 この特性を生かして、左馬を「竜馬」に成るまで守り、一気に攻撃に転じる戦法が「左馬の戦法」と呼ばれています。
左馬の戦法では、左馬をできるだけ初期段階で▲2六に配置し、他の駒と連携して守ります。 相手が攻めてきた際、左馬を安全に▲37に退けることで、敵陣に進入する経路を確保します。 十分に守られたら、左馬を▲46に引き上げ、成った「竜馬」で一気に攻撃を仕掛けるのです。
この戦法は、振り飛車党が得意とする戦法で、特に持久戦に向いています。 左馬をじっくりと守りながら、相手に隙ができたら一気に攻め込むことで、勝利を収めます。